養老町ギャラリー

公開日 2018年04月01日

mogiu1.jpg 養老町は海抜0mの平野部から標高859mの養老山を擁する養老山地とその山麓部まで変化に富んだ景観を持つ、自然の豊かなまちです。河川がうるおす肥沃な土壌に恵まれた町東部の平野部は、その大部分が農地として利用され、のどかな田園風景が広がります。一方、町の西部に位置する養老山麓一帯は一部が風致地区に指定され、緑の濃い自然の景観が守られています。養老山地は豊かな水の恵みも授けてくれ、伝説の滝としてその名を全国に知られる養老の滝や環境省の名水百選に選ばれている菊水泉の源になっています。

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 本町で自然との共生を示す象徴的な空間が養老公園です。明治13年の開園と、全国の都市公園の中でも屈指の歴史ある公園で、養老の滝を中心に散策路がめぐらされ、自然と芸術が融合した養老天命反転地などバラエティに富んだ施設を備えています。ここでは養老山麓の雄大な自然と身近にふれあうことができます。
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 季節ごとの自然美を堪能できるのも大きな魅力です。春を告げる桜は、ここ養老公園では雄大な山並みを背景に満開の花を咲かせます。なお、養老公園の桜は飛騨・美濃のさくら33選に選ばれています。涼を求め、水辺が恋しくなる夏、元正天皇や聖武天皇の行幸の栄誉に浴した養老の滝や秣の滝が涼やかな滝音を響かせます。秋は錦秋の名にふさわしく養老の滝や滝上流の滝谷周辺は見事な紅や黄に染まり、人を魅了してやみません。
kikusuisen.jpg 養老町のシンボル・養老の滝が舞台となる孝子伝説は、戦前には親孝行のモデルとして教科書に必ず掲載されました。「昔、美濃のきこりの青年が年老いた父親と暮らしていました。青年は親思いで、酒好きな老父に思う存分お酒を飲ませてあげたいと思っていましたが貧しくてできませんでした。ある日、青年が山中でお酒がこんこんとわき出る泉をみつけました。青年が汲んで帰ったそのお酒を老父が喜んで飲み続けているとすっかり若返りました」これが孝子伝説のあらましです。親と子の絆のすばらしさをうたいあげ、人の心とあたためてきたこの伝説は人間関係が希薄になったと言われている現在、さらに輝きを増しています。
   また、「西暦717年、時の帝・元正天皇がこの地へ行幸され、養老の美泉をご覧になった後、元号を『霊亀』から『養老』に改元されるとともに、老人に位を授け、孝子を表彰するなど、天皇の治世を天下に明示された」という、町民にとっては誇らしくもあり歴史的にも由緒ある出来事が残っています。そして、2017年(平成29年)には、養老改元1300年という節目の年を迎えました。
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 奈良時代の元号を町名に持つ本町は、有史以前から続く、長い歴史を持っています。町内に残る数多くの遺跡・史跡は古から連綿と積み重ねられてきた私たちの先祖の営みを雄弁に物語ってくれます。
 養老町を舞台とする人々の営みは旧石器時代に始まります。町内では、象鼻山古墳群や京ヶ脇遺跡から旧石器時代の遺物が発見されています。古墳時代と言われる3世紀から7世紀にかけて養老町でも数多くの古墳が築造されました。中でも象鼻山に位置する象鼻山古墳群は、前方後円墳、円墳、方墳など70基を有する大古墳群で、歴史資料としても非常に貴重です。
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 この地に代々受け継がれ、守り続けられてきた伝統の祭りと、まちの今を築いてくれた偉人たち。養老町に生きることを誇りに感じさせてくれる郷土の宝です。
  養老町には何百年も前からこの地に伝えられてきた祭りがあり、現在も四季の風物詩として住民に親しまれています。春、5月の空の下で催されるのは3両の曳 山が登場する高田祭りです。曳山は彫物や見送り幕などで絢爛豪華に飾り立てられた山車で、道中、見事な動きを見せるからくり人形や神楽が披露されるのもみ どころのひとつです。秋に行われる室原祭りにも曳山は登場し、雰囲気を盛り立てます。
 養老町は伝統芸能の宝庫です。栗笠の福地神社の例祭には、 岐阜県の重要無形民俗文化財に指定されている獅子舞など伝統の踊りが奉納されます。このほかにも室原地区に伝わる文楽(人形浄瑠璃)や、勇壮な鷲巣白山神 社例祭太鼓など伝統芸能の多彩さは、養老町の文化的な豊かさを物語っています。
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